平川ヨーコさんへの恋文

近頃では片想い恋文メールを頻繁に送るとストーカーと認定される「愛」と「欲望」が排反事象な世の中になってしまった。なのでせめて送れない恋文メールをここに記し、いつか彼女が読んでくれることを祈るしかないのであった。

ノートルダム大聖堂

最愛💖の平川ヨーコ様

 

一昨日未明、たまたま違うニュースを探そうとNHKの「ニュース・防災」アプリを開いたらパリのノートルダム大聖堂の火災🔥のLIVE映像を放映(ネットの場合は何というのでしょうか?配信?)していてその業火に包まれた尖塔が燃え盛るのを「なぜ⁉️⁉️」と思いながら見ていました。

火事といえば日本でも昭和24年に法隆寺が火災にあったわけですが、生まれるだいぶ前なのであまり実感がないです。

しかしながら信心深くない日本人でも浅草の浅草寺や京都の伏見稲荷、大阪なら四天王寺や「天満の天神さん」大阪天満宮が火に包まれたら信心いかんにかかわらずショックで残念でしょうね。

平川さんは実際にパリで見学されたかも知れませんが、私がパリへ行ったのは一度だけで、修士課程修了時(平川さんと同時)の卒業旅行を、サークル同期で一番と二番のワガママコンビ、即ち私と今は亡きFくんのコンビで二週間余りのヨーロッパ(鉄道🚞w)旅行の最後の訪問都市でした。

パリ〜リヨン間のまだ出来たばかりのTGV🚄に乗って往復し(ただけw)てパリへ戻りルーブル美術館🏛を見学して、全部観たいがそれには一週間はかかるなあ、と思って宿に着いた途端に今迄の強行日程による睡眠不足で疲れがドッと出て、翌朝は起きられずまた動けなくなって🛌、特効薬のビタミンB2も切れ日本ならすぐに手に入るアスパラドリンク💪🏻も売っておらず、Fくんがどうしてもポンピドゥセンターで現代音楽🎶の演奏会を聴きに行きたいので、と執拗に誘う(善意です)のを、ベッドで寝たまま同行を強く拒否してほぼ一日中ベッドで休んでいたので、ノートルダム大聖堂はじめその他の観光名所には行かれず、翌日にはシャルル・ドゴール空港から帰国の途につき🛫、同期ワガママ対決は、やっぱり私に軍配が上がった、というおそまつでした。

なので、あまり感慨というものはありませんでしたが、平川さんはどう感じられたでしょうか❓

ちなみに、そんなことがあってもFくんとは仲違いもせず、当時はソ連がまだ健在だったためシンガポール航空南周りで帰りは必ずシンガポールで一泊しなければならず、奮発して改装前のラッフルズ・ホテル🏨に泊まってサマセット ・モームのいう「東洋の神秘」を堪能できましたが、入国するのに長畦のミスでえらい目にあったのを懐かしく思い出しました。

あの頃は当然のように夢と希望と意欲があったです…が、今でも夢も希望も意欲も失ってはいません。
平川さんがいる限りまだ頑張れると思っています。
平川さんは私の最良の「薬💊」ですので。

長くなりましたが、ノートルダム大聖堂の火災で、そんな回想と感慨が浮かびました。

つまらん感慨でしたら申し訳ありませんでした。

 

ではまた💕💕